序幕|窯から出した日
焼き物の歴史は、土だけでは残らない。
誰かが受け継ぎ、誰かが選び、誰かが外の世界へ差し出して、初めて一つの「様式」になる。
この焼き物も、そうだった。佐渡の土から生まれた、その焼き物を無名異焼という。五代伊藤赤水先生に会うため、私たちは佐渡島へ向かった。
京都や瀬戸、美濃、有田といった日本を代表する陶磁の産地から遠く離れ、日本海に浮かぶ島である。新潟の港からさらに海を渡らなければならない。決して気軽に足を運べる場所ではない。
けれども、その隔たりこそが、この島の焼き物を育てたのかもしれない。佐渡には、ほかの土地にはない地質と鉱物の歴史がある。かつて金銀山の採掘によって地中から現れた、鉄分を多く含む赤い土。その土から、佐渡独特の無名異焼は生まれた。
海に隔てられ、島の土とともに受け継がれてきた焼き物を、五代赤水は島の外へ、そして日本の外へと運んでいった。
赤水窯ギャラリーを訪ねると、先生は新聞を手に、静かに座っておられた。挨拶を交わして間もなく、不思議な感覚が生まれた。初めて会う人ではないような気がした。むしろ、しばらく会っていなかった人と久しぶりに顔を合わせたような親しさがあった。まだ多くの言葉を交わしていないのに、初対面の緊張はいつの間にか消えていた。

赤水窯のギャラリーでは先生の作品だけでなく、息子さんの作品や、窯の職人たちが手がけたものも並んでいる。まず目に入るのは、無名異焼特有の、あの深い赤である。けれども、少し立ち止まって目を凝らすと、見えてくるものは色だけではない。土の肌、かたちの緊張、わずかな歪み。
眺めているうちに、これほど細部まで神経の行き届いた作品を、先生はどこで「終わった」と判断するのだろう、という疑問が浮かんだ。
——窯から出したばかりのものは、ご自分にはどう見えるものですか。
「これ不思議なもんでね、窯から出した時はね、大体ね、こっちが出す方が酔ってるんだよね。酒に酔うのようね。その時よく見えるよ。これもいいの、これもいいの。ところが三日もすると、やっぱりダメだ壊そうって言ってね、壊そう。」
窯から出した直後の高揚を、先生はそのまま最終的な判断にはしない。時間を置いて、もう一度見る。
——いまでも、作品を壊すことはありますか。
「あるよ。」
長い時間をかけた作品であっても、残すべきではないと思えば壊す。その判断は驚くほど簡潔だった。
——ご自分で「これはうまくできた」と思うものはあるんですか。
「自分でね、これはまあまあうまくできたなとかっていうものは、気持ちの中ではあるかもしれんけど、見てくれる人、評価をしてくれる人の、その目が一番、僕にとっては厳しい目だから、それを一番大切にしてるね。」
——作ったものの評価が高ければ、ご自分の感覚も育っていくのでは。
「ちょっと違うような気がするな。つまり自分の目はさ、いつもいつも一定じゃないってことだ。自分の感性がね。三ヶ月にしてちょっと冷静になってみたら、うーんってこうなっちゃう。」
自分の目も、時間とともに変わる。だから、作った直後の確信さえ、先生にとっては絶対ではない。
——逆に、あとからよく見えることは。
「逆に、まあほとんどないな。」
——ご自分の判断で押し切ることは、しないんですか。
「なんで反論できんかって言ったらね、こういう仕事ってさ、理詰めじゃないんだよ。感覚なんだよ。感覚ってさ、理屈はない。」
おそらく、ここに先生の仕事の厳しさがある。作品を作り終えた瞬間に、すべてが決まるのではない。最初の高揚が静まり、自分の目から少し距離を置き、それでもなお残すべきものかどうかを見つめ直す。完成とは、手を止めることではなく、そこからさらに始まる判断なのかもしれない。

二幕|三度、変えた
——六十年のあいだに、作り方はどのように変わってきましたか
「六十年の間に、大きく分けると三通りの作り方をやってきたんですね。
最初は窯変。無名異の赤い土で形を作って、窯に入れる。炎が強く当たるところでは、燃焼によって酸素が奪われて、赤い色が黒に変わっていく。その性質を利用して焼くんですよ。」


——赤と黒のほかに、緑がかった色も出ています。
「それが窯変の魅力なのね。僕が出そうと思って出せる色じゃない。たまたま出ただけなんですよ。」
——窯変を続けたあと、次はどんな表現を考えるようになったんですか。
「そうするとですね、ある程度評価もしてもらったし、今度はもっと違うものを作ってみせてよ、ということになるんですね。それで、また次を考えなあかんなと思って、考えたのがこういう練上ですよね。
色の違う土を一つずつ組み合わせて、花の模様になるようにパーツを作る。それを切っていくと、断面に花のような模様が現れるんです。そういうパーツをたくさん作って、今度はそれを寄せて、組んでいく。」
窯変では、炎や窯の中の状態が、作品の表情を大きく左右した。どこまで人の手で導き、どこから先を火に委ねるのか。その偶然性もまた、魅力の一部だった。
練上になると、仕事の性格は大きく変わる。色土を組み、断面に模様が現れるよう計算しながら、一つひとつのパーツを作る。その精度が、そのまま作品の完成度に結びつく。窯の力に委ねる部分が大きかった窯変に対して、こちらでは作り手の手と技術が、より前面に出てくる。


——練上を続けたあと、次はどんな方向に向かわれたんですか
「二十年あまりやって、もう六十も過ぎたしね……」
「もっと自由にものを作ろうと思ったんです。無名異だけにこだわるんじゃなくて、佐渡の素材、佐渡の土とか石とか植物とか、そういうものにこだわって作ろうと。
土の中には石が混ざっていたり、木の根が入っていたり、いろんなものが混ざってるんですね。だから表面も、なんていうか、ラフな感じになる。」
練上で精緻な文様を追求してきた先生は、六十歳を過ぎるころから、より自由な制作へと向かうようになった。無名異の土にとらわれず、佐渡で採れる土や石、植物など、さまざまな素材を取り入れる。表面にはざらつきや微妙な凹凸が生まれ、練上の緻密な文様とは異なる、素材そのものの表情が現れる。




——新しい作り方は、どうやって思いつくんですか。
「お酒飲んでると思いつくの。」
——作品の構想は、どのように生まれるのでしょうか。
「そんなもん予想できれば……僕はそんな頭良くないから。あっちの壁に頭ぶつけ、こっちの壁に頭ぶつけながらやっていって、そしてある日突然ほっと思いつくとかね。
そんな偉いことないで僕ら。僕らたまたまやってみて、あちこちやってみて、失敗ばっかりして、ある日突然なんとなく思いついたという具合の方が、あってんじゃない。」
完成は、最初から見えている場所ではないらしい。遠回りを重ね、失敗を積み、その途中でふいに輪郭が現れる。先生の言葉を聞いていると、制作とは答えを形にすることではなく、答えに出会うまで手を止めないことなのだと思えてくる。
三幕|教えると、コピーになる
伊藤家の始まりは、佐渡の外にある。祖となる伊藤甚兵衛は、現在の石川県、前田家の領地から、金山を目指して海を渡り、佐渡へ渡ってきた。
「佐渡の金山が非常に盛んだったのでね、金が採れて、みんな佐渡へ金を掘りに来たの。だから、言ってみればアメリカンドリームじゃないけど、“佐渡ドリーム”。
うちは、もともと焼き物の家じゃなくて、羽口を作ってたんです。鉱石を溶かす炭に空気を送り込む、土で焼いた管ですね。それを二百年、三百年と作ってきた。
そのうち、金山から無名異という赤い土が出ることに目をつけた。鉄分を含んだ土で、当時は薬としても売られていて、かなり高価なものだったんです。
それを焼き物に混ぜれば、器にも付加価値がつくんじゃないか。そう考えて、焼き物を始めたんですね。
赤水という名前もね、その土から来てるんです。
家の前に小さな川が流れていて、金山の方から無名異を含んだ赤い水が下りてきてたんですね。それを見た当時の知識人が、『赤い水なんだから、赤水でいいんじゃないか』って勧めたらしいんです。明治の初めのことですね。まあ、本当のところは僕も分かりませんけどね。」




初代甚兵衛から数えると、伊藤さんは十三代目にあたる。2023年、赤水の名を息子に譲り、息子が六代伊藤赤水を襲名した。以来、自身は「赤儘」の名で制作を続けている。
——伝統を守りながら、個性を出していく。難しくないですか。
「その話はね、とても難しいと思うんですね。結局、伝統とは何ぞや、という話になってくるわけでしょ。前の代が作った形を、そのままつないでいけば伝統なのかというと、僕はそうではないと思ってるんですよ。
まず僕らは、この土地からものすごく大きな影響を受けてる。佐渡金山があって、そこから原料になる土を得ているわけですから、これはほかの土地ではなかなかできない。
それだけじゃなくて、田舎の生活習慣とか、人情とか、この島の人に特有のものの考え方とかね。そういうものも、僕の制作の中には入ってると思うんですね。
だから、僕の前の代が作ったものを僕は作らないし、僕が作ったものをせがれは作らない。それでも、同じ土地にいて、同じ土と向き合っている。僕は、そういうところに伝統があるんじゃないかと思ってるんですね。
無名異の土は、いまも佐渡金山の敷地から出るんです。金山が縮小するときに、その土地が相川町に寄付されて、それから合併して佐渡市のものになった。
だから今は市の財産なんですね。一応、市の財産だから『お金はいただきます』って(笑)。ちゃんとお金を払って買ってるんです。佐渡に住んで焼き物をしている人なら、手を挙げれば誰でも使えるようになってるんですよ。」
——佐渡金山は世界遺産になりました。今後、無名異の土を使うことに影響はありそうですか。
「取れば、そこだけなくなるわけだからね……。世界遺産になったことで、これから規制がかなり厳しくなるということはあると思います。」
——息子さんは、すぐに継ぐと言ったんですか。
「いや、せがれは一時、反発したよ。『俺はやらない』って。」
——そこから、どうやって継ぐようになったんですか。
「そこは僕のテクニックでね。騙し騙し、騙して……。」
——これだけは教えておかないと、というものはありますか。
「教えるとコピーになっちゃうのよ。それが一番、その子にとってはマイナスになると思うんです。」
「せがれはせがれで、ああでもない、こうでもないってやってね。それはそれなりに苦労するだろうと思うけど。
でも、そうやって自分で掴んだ方が、結果として魅力のあるものができるようになると、僕は信じてるんです。」
六代も佐渡の無名異土を使いながら、父とは異なる表現を追求している。柔らかな青みを帯びた独自の釉薬「縹釉」、器の表面に線を刻む「線紋」、異なる釉薬を組み合わせる「釉象嵌」。受け継いだ赤い土から、また新しい焼き物が生まれている。


——先生ご自身は、お父さんの手元を見て覚えたのでは。
「見てたよ。でも、親父のようには絶対ならんと思って見てたの。反面教師。」
——継ぐことに、抵抗はなかったんですか。
「気がついたらね、もう土を触ってたの。
僕らの時代は、長男が後を継ぐっていうのが当たり前だったからね。理屈じゃなくて、『あんたは長男だから、この仕事するんだよ』って言われて大きくなったわけだから。だから、あんまり抵抗もなかったしさ。」
——京都の大学へ出られていますね。
「大学というところに遊びに行ってたんです。まあ、遊びだけですけど。」
——島を出たまま、戻らないという気持ちにはならなかったんですか。
「そんなことはなかったね。」
そこで、話は父親の世代へと遡った。
「僕の親父は戦争世代だったの。」
自分の意思を貫くことそのものが、まだ「できにくい時代」だった。先生はそう言い添えた。
中幕|特徴は、こっちが決めることじゃない
——無名異焼の特徴は、どこにあるんでしょう。
「僕が作った焼き物に、どういう特徴があるのか。それを判断するのは僕じゃなくて、見てくれる人だと思ってるんです。
僕がいくら『これが特徴です、これが特徴です』って言っても、見てくれる人に『何も特徴ないじゃないか、どこにでもあるじゃないか』って言われると、もうそれまでだからね。」
——先生にしか作れないものは、ありますか。
「それは結果論であってね。自分だけにしかできないものを作りたいとは、いつも思ってるんです。」
唯一性は、名乗るものではなく、あとから他者によって見いだされるもの。先生の言葉は、そんなふうにも聞こえた。
——練上も窯変も、無名異焼では先生が最初だったんですよね。
「誰でもできるかもしれない。たまたま僕は最初に考えついたというだけであって。」
——人間国宝になったときは、どんなお気持ちでしたか。
「これはね、ある日突然、電話があるんです。『こういうことになりました。どうしますか、受けますか、辞退しますか』って。
……それはもう、受けときますわ(笑)。
でも、僕ら、なんでなったかっていうのは、正直なところ……わからないのよ。
焼き物の産地って、日本にいくつもあるでしょ。備前、唐津、萩。大きな産地からは、たいてい誰か一人は出ている。
だから国としてもね、その土地から次につないでいく人が一人もいないと困る、という考えはあるんじゃないのかな。
僕になるまで、無名異焼なんて、ほとんど誰も知らなかったよ。」
人間国宝という肩書きについて語るときも、先生の言葉にはどこか他人事のような距離がある。自分が選ばれた理由よりも、その先に無名異焼が残っていくことの方を見ているようだった。
大詰|わがまま放題
——ご自分の仕事を、一言でいうと。
「一言で言うとね、僕たちの仕事ってのは、わがまま放題。人のことはどうでもいいわけよ。自分がこうだと思ったら、それをやればいい。
……結果としてダメだったら、『ああ、そうか。俺の感覚はやっぱりよろしくねえんだな』と思う。」
——窯は、いくつお持ちなんですか。
「僕はいろんな種類の窯を持ってるんです。というのもね、こういう陶器は、窯の種類によって焼き上がりが全然違うのよ。
穴窯、登り窯、電気炉、ガス窯。油の窯も一つ作ったけど、壊しました。
自分が今何を作りたいかによって、その窯の種類を選ぶ。」

——年に何回焼くか、決めていますか。
「僕はそういう意味では、ものすごくいい加減でね。今度はこれをやろうか、これをやってみたい、次はこれにしようかって。何の計画もなしに、思いつくままにやるんです。
ただ今僕一人だから、せがれと一緒に仕事しないから。せがれも自分一人やってるから。だから一年間にできる仕事なんて、ほんのちょっとしかない。
仕事はしたいんだけどね。……そういう力がなくなってしまうと、何もやりたいと思ってもできないよ。」

——下相川店の前に、大きな赤い球がありますね。
「丸いものを作りたかったんです。球ね。
僕が求めている形っていうのは、最後は球になっちゃうんだよ。『ここ邪魔やな』って切るやん。『ここも邪魔やな』ってまた切るやん。そうやってどんどん削っていくと、最後は球になってしまう。」
球体の内部はコンクリートで、その表面を三角形のタイルが覆っている。タイルは無名異で焼いたものだ。何枚使ったのかは、先生自身も数えていないという。制作したのは十年ほど前。屋外に置くと色が変わってしまうため表面に塗料を施したが、本人の思い描いた色にはならなかった。
「今のところ、僕の究極の課題っていうのは、球なのかなって思ってる。」


