舞台
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青木 良太 撮影:VOYAGE JAPAN

( 人 · Hito )

自分が死んでも、
残るから。

青木 良太 陶芸家 / 岐阜・土岐

2021.11

序幕|千円のガチャに、神様がいる

岐阜県土岐市。美濃焼の産地の一角に、陶芸家・青木良太の工房がある。壁一面の棚に器が隙間なく並び、机の上には金のぐい呑みと色とりどりのマグが置かれている。

二十歳のとき、一日を八時間ずつ三つに割って、好きなことを仕事にすると決めた。その計算のいきついた先が、この部屋である。

展示室の壁際に、木箱に組み込まれたガチャガチャが三台並んでいる。一台は金色。機械の側面には CHIM CHIM GOD MINI の文字と、1,000yen の表示。隣の台には、小さな像が数体並べて置かれている。

——これは、何ですか。

陶器の神様です

——どうして、これを作ろうと。

アート作品っていうのは色々あって テーマが、生と死とエロスと、あと何か二つぐらいあるんですよ……あ、これチムチムっぽいな、ペニスっぽいなってのがあって これ中途半端だなと思って、もう完全に振り切ろうと思ってここまで

展示室のガチャガチャ。カプセルは一個千円。撮影:VOYAGE JAPAN

月に五千個ほどが人の手に渡っていく。別に二万円で売るものもある。金色のものは当たりで、普段は百個に一個しか入っていない。この日は、来客が多いからと多めに入れてあった。

台座の並ぶ展示室。作品名は CHIM CHIM GOD。撮影:VOYAGE JAPAN

二幕|髪は伸びて、消えてしまう

この人が陶芸にたどり着くまでに、いくつかの職業が候補にあがっては消えている。順に聞いていくと、消えかたに一つの規則があった。

——子どもの頃は、何になりたかったんですか。

小さい頃は漫画家になりたくて 絵ばっかり描いてた

幼稚園の頃から描きはじめ、中学まで続けた。好きな漫画家の線を、ひたすら模写した。

絵は描けるんだけどストーリーは描けなくて 諦めました

高校は富山の商業高校。簿記を一日五、六時間やらされた。そのあと愛知の大学に入り、中小企業の経営者になるための学科で学んだ。将来を考えはじめたのは、二十歳になる頃だった。

1日で24時間あって 大きく3つ分けれるなと思って 8時間仕事 8時間睡眠 8時間好きなこと あれじゃあ好きなことを仕事にしたら 最強じゃんと思って

そこから、好きなことを探す時間が始まる。まず服を独学で作った。学園祭や古着屋に売り込みに行った。金属のアクセサリーも作った。

何十時間やってやっとこれ一枚できるのに これはやっぱ工業製品だと思って

棚の最上段に並ぶボトル形。白、金、臙脂、藤。撮影:VOYAGE JAPAN

次は美容師だった。カリスマ美容師と呼ばれる人たちがいた時代である。美容師のアルバイトを始めた。ひと月経つと、客はまた髪を伸ばして戻ってくる。

これって形に残らないな

服とかアクセサリーは多少残るじゃないですか 美容室の髪の毛は作品になるけど形には残らない それが自分寂しいんだって途中で気づき始めて

自転車で雑貨屋をまわるのが好きだった。ある店で、愛知の陶芸家の器に出会った。二十年経った今も、それは手元にある。

陶芸って渋いじゃんと思って

年配の人たちがやっている陶芸教室に行き、そこで一つ作った。

最初の1ヶ月は陶芸家っていう夢みたいな職業だからなれるわけないから 楽しいから作ってようと思ったんだけど どうしても我慢できなくなって

工房の作業机。棚には陶芸の事典と、少年誌が並ぶ。撮影:VOYAGE JAPAN

三幕|廃棄弁当を、冷凍庫に詰めて

大学四年の、卒業まで半年という時期だった。陶芸家になるにはどうすればいいのかを調べると、本に載っている作家の経歴には美術大学の名前が並んでいた。親に伝えると、卒業後は仕送りをしないと言われた。

——どうやって進んだんですか。

年間十何万だから アルバイトしながらだったら 学費も払える

職業訓練校を探して応募し、三つ受かった。選んだのは多治見市陶磁器意匠研究所。陶芸だけを二年間やる学校である。教室に半年通っただけの自分は、たぶん上手いほうだろうと思っていた。同級生に出身を聞いてまわると、美術大学の名前が次々に返ってきた。

みんな4年間ちゃんとやってるってなってて そこで初めて挫折したんですよ

憧れの作家がいた。三重の陶芸家で、当時いちばん勢いのあった人だった。学生のうちから作品を持って手伝いに通い、弟子入りを申し出た。返ってきたのはこういう言葉だった。

いやもうりょうたも自分でできるからもうやりなよって言われて

卒業は三月。その年の五月に、東京での個展が決まっていた。金がない。深夜はコンビニ、昼は工場で働いた。

廃棄弁当ってあるんですけど 弁当捨てるんだけど あれを全部冷凍庫に詰めて

浮いた金は材料に回した。作品には金と銀を使っていた。当時、それをやる人はほとんどいなかった。作品そのものは、まだ学校にいるうちに焼いてある。学校の窯を使い、卒業制作とは別に作りだめしていた。

死ぬほど頑張りました 本当に死ぬ気でやってましたね

金と銀の箔を纏った碗。棚の一段を占める。撮影:VOYAGE JAPAN

個展は完売した。当時の陶芸界では、四十代が若手と呼ばれていた。売り込みかたは、服を作って売っていた頃に覚えたものだった。

自分で動けば自分でお金が稼げると面白くて

中幕|色は、まだ十万しかない

——作るとき、買う人のことは考えますか。

相手のことを一切考えたことない。

自分が欲しいものを作る

大学で経営戦略のゼミにいた。そこでNASAを研究した。

NASAのすごいところは 研究開発費をめちゃくちゃかけてる

陶芸の研究開発って何だろうと思って

一つは形を作る 一つはこの色 じゃあこの色を研究すればいいんだって 形なんていつでも作れるから

以来、色を調べ続けている。工房には釉薬のテストピースが並ぶ。机の上には、調合を書きつけたノートが積まれている。

——欲しい色を思い描いてから、作るんですか。

発想ってのはないんですよね

とりあえず0.1ぐらいの単位で いろいろバーってやってたら これいいじゃんとか

焼かないと分からないからちょっと歯がゆいんですけど

出てきた色には、名前をつける。

自分の子供みたいに名前をつけてあげるんですけど

棚の器を指してもらった。これはローズレッド。これはスカイブルー。これは桜。

流し掛けの碗と、赤い碗。名は色ごとに与えられる。撮影:VOYAGE JAPAN
縁から流れ落ちる釉薬。撮影:VOYAGE JAPAN

——日本の色って本当に面白いなと思う。
山吹色、鬱金色、黄蘗色、菜の花色……。
こうやって自然の中の微妙な色まで一つひとつ名前がついているのって、すごく素敵。私のところでは、ここまで細かく色を呼び分けることってあまりない気がする。

そちらの国ではどうなのか分からないけど、日本では、こういうふうに色を細かく呼び分けることがあるんだよ。

棚二段。上段は西洋のアンティークカップ。撮影:VOYAGE JAPAN

金と銀も使う。磁器を透けるまで薄く挽き、焼いたあとに箔を貼って、もう一度低い温度で焼きつける。

1枚ずつピンセットで 貼っていくんですよ

エアコンも止めなきゃいけないし

これが日本の美術だと思って

金と銀を纏った徳利。撮影:VOYAGE JAPAN

十年あまりかけて完成させたものに、磁器のワイングラスがある。焼けば軸が歪む。誰も作れないとされていた。

自分は金色のワイングラスが欲しいと思って ずっと研究してたんですよ

できてしまえば、あとは真似ができる。コロンブスの卵だ、と本人は言う。今では同じものを作ろうとする人がいる。

——ご自分の焼き物は、何焼きにあたりますか。

今までになかった美しい陶器が欲しい

今しか作れない自分にしか作れない のを今作りたい

土は瀬戸で買う。白いものはニュージーランドのカオリンで、これがいちばん白い。山から掘っただけの土も使う。売る側から、これは必ず水が漏れると先に言われる。

それはそうなったら面白いんですよ

泡立った肌の大壺二点。撮影:VOYAGE JAPAN

——これだけ作り続けて、疲れませんか。

ちっちゃい子どもずっとゲームしてるので一緒ですよ

あと教えてくれるんですよこいつらが

形になりたいようにしてあげるだけ

土と会話するって言ってる人も 危ない人かもしれないですけど

屋外の物置。ガスボンベと自転車のあいだに置かれた頭蓋骨。撮影:VOYAGE JAPAN

大詰|割れる前提で、ばらまく

志野も織部も好きで、自分でも作る。ただ、今は控えているという。伝統を掲げて昔の写しを作り、高い値をつける。それを若い頃から批判してきた。

今にしか作れない あなたにしか作れないものを 作んなきゃいけないってことを ずっとみんなに言ってるんですよ 若い子たちに

そしたら上の人が あいつは生意気だみたいな

けど自分も作りたいですよ モノマネをしたい時ある

二十八歳の頃、雑誌に次々と取り上げられ、若手でいちばん売れる作家になっていた。陶芸家になって陶芸で食べるという夢は、そこで叶ってしまった。

陶芸界を活性化させることだなと思って

一人だけ盛り上がってもしょうがないんですよ

二〇〇八年、若手を集める会を始めた。イケヤン☆という。初回は百五十人ほどが集まった。各地の作家が、自分の地域での食べかたを教えた。

自分は陶芸の食い方を知ってたのね

二年目からはオーディションを入れた。知り合いのギャラリストに十人ほど来てもらい、壇上に座らせる。参加者は各自カップを二つ持ってくる。一つは審査用、もう一つは酒を飲むためのもので、手に持っているものを見れば、その人が何を考えているかは一瞬でわかる。名刺はいらない。

そこで1位になった人は次の年必ずスターになってます

賞金を出すコンペではなく、仕事を渡す場にした。個展、常設、グループ展。一位になれば翌年の予定が埋まる。審査員に呼ばないと決めた層が一つだけあった。

その代わりジジイたちが来るなって言った

上の世代は絶対来るなって

店舗スペースの棚。天井の照明も陶でできている。撮影:VOYAGE JAPAN

若手の展覧会に行くと、いいと思ったものは買う。

買えよって思うのが一番褒めることなんですよ

家で使う。ただし、いちばんいいのは結局自分のものだと思ってしまう。使われない器は、しまわれていく。それでも買う。

奥さんが、それ使わないなら、って全部しまわれてます。

——あまりお金をかけずに、ということですか?

かけないでやった方がいいですよ

あと学校へ行かない方がいい

——基礎はどこで学べば。

自分もYouTubeで教えてます

窯も、最初は買わなくていい。どこかに借りられる場所があるはずだから探せばいい、と言う。

夜、ケージの前で。撮影:VOYAGE JAPAN

——なぜ、焼き物だったんですか。

自分が死んでも残るんですよ 洋服10年着れない 車20年持たない 家100年持たない

だからこれ全部自分の子供だと思ってる

割れるものである。途中で失われるものもある。だから数を出す、というのがこの人の結論だった。

パイが多ければ多いほど残る確率が高い

だから世界中バーッとばらまいてる

インタビューアー:和田タチアナと快く取材に応じて下さった青木 良太さん撮影:VOYAGE JAPAN
The Question あなたにとって、
舞台とは。

今しか作れないものを置いていく持ち場。

Profile

陶芸家。岐阜県土岐市に工房を構える。愛知県の大学で経営情報を学んだのち、多治見市陶磁器意匠研究所を卒業して独立。釉薬の研究を続け、金・銀など通常の陶芸では使われない素材も用いる。二〇〇八年から若手陶芸家の交流イベント「イケヤン☆」を主催(取材時点では休止中)。スイスに半年滞在した時期がある。コロナ禍以前は年間二十回ほどの個展を開き、一年の三分の一を海外で過ごしていた。

取材後記

工房の棚の前に立ったとき、私はまず色の数に驚いた。
見たことのない色ばかりだった。何色と呼べばいいのか、私にはわからない。近い名前を探そうとしても、どれも少しずつ違っている。
その色に、青木良太さんは自分で名前をつけている。

岐阜にて 二〇二一年十一月 青木 良太 撮影:VOYAGE JAPAN